無我の境地の入り口は“地蔵盆”にあった!?その秘密を探るべく奈良の古寺に潜入取材!

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みなさん、地蔵盆って知っていますか?私がこどもの頃、夏休みに近所のこどもたちが集まって遊んだり食べたり、お坊さんが来てお話を聞いたりと、とても楽しい行事でした。しかし、近年あまりしていない地域もあるようです。みなさんの地域ではどうですか?

これじゃいけない!と立ち上がった、奈良市内にある「阿弥陀寺」が地蔵盆を復活させるということで、7月17日(日)に「地蔵盆」を体験取材してきました。また、このお寺が運営している寺子屋のこどもたちも一緒に体験取材を書いてくれることになりました。中学生の「シュン」と高校生の「ソータ」です。我等がユータ記者は、小学生で一番年下なのに、この二人に対して先輩風を吹かしております。

果たして地蔵盆とはどんなものなのか、大念珠繰りとは何か。この三人による合作で明らかにしていきたいと思います。ユータ記者と新米記者のシュンとソータよ、体験取材をよろしく頼むぞ!

 

ユータ

小学6年。こども新聞社のエース記者。鋭いツッコミが武器。インタビュー相手に、給料がいくらなのかを必ず聞く。漫画家志望。

【意気込み】

今回で取材は5回目。今日は地蔵盆にやってきました。取材するのは、保護者とスタッフさん。もう取材は慣れたもんです。地蔵盆はよく分かんないけど、とりあえず楽しんでいきたいです。

 

シュン

中学1年。新米こども記者。常にクール。どんな相手でもペースを崩さない。マイワールド所有。部活は卓球。

【意気込み】

最初は不安でした。なぜなら、ジョッピーさん(※)は変な人かなと思っていたからです。実は前もって写真と名前は見ていて、外国人かなと思っていたのです。でもどうやら日本人みたいなので、思い切って取材しようと思います。 (※)この後、紙芝居をしてくれる人。

 

ソータ

高校2年。新米こども記者。物静かなイケメン君。頭が良く、何でもそつなくこなす。でもかなりシャイで、女子とあまり話せない。

【意気込み】

地蔵盆に参加するのは今回が初めてです。なので、まだまだ分からないことだらけですが、面白いイベントもあると聞いているので、とても楽しみにしています。また、昔から受け継がれている地蔵盆について、色々と知りたいと思います。

 

浄土宗阿弥陀寺

元は永徳元年(1381)に建立された元興寺の一庵「龍樹庵」と伝っています。元和5年(1619)の大火で焼失しました。現在の本堂・庫裏・客殿・中門は元和8年(1622)の再建で、県の文化財に指定されています。表門と鐘楼は寛文4年(1664)頃の造立です。本尊には阿弥陀如来立像(平安時代末期の作)があり、絹本著色観経十六観相図(国重文)が収蔵されていて、境内には応永10年(1403)の笠塔婆や応永20年の水船があります。

https://goo.gl/maps/oZxFmjhMTMs

奈良市南風呂町11

 

※笠塔婆

http://www.geocities.jp/kawai24jp/index-kasatouba-itabi-hoka.htm

 

ならまち寺子屋学房

寺子屋学房は、今回取材する阿弥陀寺の併設の寺子屋で、古民家でゆったりと、こども達が主体的に学ぶ姿勢を養える場です。

今回の2名の新米記者はここで日々学ぶ生徒さん。今回は我々の出張授業対応で晴れて記者デビューとなりました。

http://kaymorristen.wixsite.com/gakubou

 

地蔵盆とは

地蔵盆とは、お地蔵さんと呼び親しまれている地蔵菩薩の縁日(8月24日)を中心とした三日間を指します。こどもの幸福を祈る民間信仰として近畿地方で広まったと言われています。

地蔵盆の由来については諸説ありますが、その一つに小野篁(おののたかむら)のエピソードがあります。小野篁は平安時代前期の公卿であり、歌人として知られています。当然、昼は朝廷に仕えていましたが、夜になると井戸を通って地獄に降り、閻魔大王の元で裁判の補佐をしていたそうです。

ある日、小野篁は地獄で苦しんでいる死者の代わりに閻魔大王が地獄の炎で自分の身を焼いて苦しんでいる様子を見てしまいます。そこで小野篁は満慶上人(まんけいしょうにん)と共に閻魔大王を救済するために供養を行いました。閻魔大王と聞くと、怖い、恐ろしいというイメージがあるかも知れませんが、この話を聞くと、閻魔大王はとても心優しい存在に思えますね。

ところで、どうして地蔵菩薩じゃなくて、閻魔大王の話なの?と思いませんか。当時の日本では閻魔大王は地蔵菩薩の化身とされ、同一のものと考えられていたそうです。このように、閻魔大王≒地蔵菩薩の供養が由来とも言われています。

 

*満慶上人

大和郡山にある矢田寺(正式名:金剛山寺)の住職であり、京都五条に別院を建て、地蔵菩薩をまつったとされる(これが現在の京都にある矢田寺)。閻魔大王からもらった白米が使っても全く減らなかったという伝説があり、このことから「満米(まんべい)上人」とも言われるようになったとされる。